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前回、久しぶりのブログ更新でしたが、数時間後にGoogleで「FERCオーダー745」を調べると、トップページに「FERCオーダー745の顛末-その2」が出現し、数か月ブログ更新を怠っていたにもかかわらず、まだGooglebotには見捨てられていなかったんだと安心しました。
なお、以前からブログをご覧いただいていた方はすでにお気づきのように、インターテックリサーチブログの見映えを変更しました。この数か月、どうせ忙しくてブログ更新はできないだろうとわかっていましたので、実は、この間、プロの方にお願いして、インターテックリサーチのホームページとブログ用にレンタルしていたサーバを、よりハイパフォーマンスのサーバに引っ越しました。思えば、インターテックリサーチ立ち上げ時には、レンタルサーバの申し込みから、ホームページビルダを使ったコンテンツ制作、Wordpressによるブログ環境の整備、その後のブログ投稿まで、すべて一人で行ってきましたが、5年たち、見直してみると、当初ホームページのみだったものが、次第にブログ主体に移ってきていますので、この際、ホームページ部分もWordpress側に取り込んで全体の見映えを統一してもらいました。ご覧いただいた印象はいかがでしょうか?
さて、FERCオーダー745の顛末のお話に入りましょう。
前回は、Utility Diveの5月4日付けの記事「Supreme Court to hear FERC Order 745 case over demand response rules」をご紹介しました。 FERCオーダー745(以降、O745と略します)が発行されたのは2011年3月。FERCがこのルールを定めた意図は、上記の記事に端的に示されています。すなわち、「電源と対等の支払条件でDR資源の卸売市場導入を促進し、結果的に卸売市場価格高騰を抑止する」ということです。そして、このルールは卸売電力市場の運用者向けに課したものです。 「電源と対等の支払条件」という点では発電事業者と「見解の相違」があっても仕方がないのですが、「O745を策定すること自体がFERCに与えられた権限を逸脱している。よってO745は無効である」とする反DR連合の(見事な論点のすり替え?!の)告訴が功を奏し、2014年5月23日、ワシントンDCの高等裁判所がO745に対して無効判決を下したことを、2014年6月の「DRはどこへ向かうのか-その14」でご紹介して以来、弊ブログでは、この「O745無効判決事件」を追いかけてきました。 その後の大きな動きが、2015年1月にご紹介した「FERCオーダー745の顛末-その1」の「オバマ政権、FERCオーダー745の件で最高裁判所に再審請求」と、昨日ご紹介した「FERCオーダー745の顛末-その2」の「最高裁、FERCオーダー745の再審理決定」のニュースです。 事態は、FERC、オバマ政権、PJMならびにEnerNOCのようなDR提供者からなるDR連合が有利な方向に展開しつつあるように見えますが、まだまだ油断はできません。それは、最高裁で検討されるのは、次の2点で、O745本来の意図とは全く無関係に裁かれようとしているからです。
- O745の策定はFERCの越権行為か?
- 高等裁判所はO745を無効と判断する上で何か間違いを犯していなかったか?
ということで、今回は、「O745の策定はFERCの越権行為かどうか」を確かめるため、FERCの生い立ちを調査し、ご紹介したいと思います。でははじめます。
【weblioによる米国連邦エネルギー規制委員会 の説明】
【英】: federal energy regulatory commission 略語: FERC
米国連邦エネルギー規制委員会のことで、米国において、電力事業・ガス事業に対する規制・監督を行う委員会である。1977 年にエネルギー省(DOE)が設立された時に、同省内に設置されたが、一般の行政からは独立した権限を有する。この委員会の設置により、その前身である FPC(Federal Power Commission:米国連邦動力委員会)は廃止された。FERC は前身である FPC の有していた電力会社および天然ガス産業に対する監督権、州際パイプラインの敷設許認可権並びに州際天然ガスの販売価格の統制権を譲り受けるとともに、1978 年天然ガス政策法および公益事業規制政策法の二つの法律によりその権限が一層拡大された。
ということで、FERCはDOEと同時に誕生した組織のようですが、その権限範囲を理解するためには、まず、その前身であるFPCがどのような権限を持っていたかを調べねばなりません。
FERCの前身であるFPCについて
FERCのホームページの「History of FERC」を見ると、次のように書かれています。
Founding of FPC
In 1920, Congress established the Federal Power Commission (FPC) to coordinate hydroelectric projects under federal control.
<中略>
With the passage of new acts and court decisions the mission of the FPC continued to expand.
•The Federal Power Act of 1935 and the Natural Gas Act of 1938 gave the FPC the power to regulate the sale and transportation of electricity and natural gas;
•In 1940 amendments to the Natural Gas Act enabled the FPC to certify and regulate Natural Gas facilities;
•1954 Phillips Petroleum Co. v. Wisconsin decided that the FPC has jurisdiction over facilities producing Natural Gas sold in interstate commerce;
•1964 City of Colton v. SoCal Edison decided that the FPC also has jurisdiction over intra-state sales of power that has been transmitted across state lines; and
•In 1967, intrastate utilities became jurisdictional if they connected their supply lines to others outside of the state.
As a result of their expanded jurisdiction the FPC and the nation faced an energy crisis. There was a colossal backlog of applications for natural gas permits, while there were chronic brownouts in the 1960s and the OPEC embargo in the 1970s. This called for reorganization of the FPC.
電力のみに注目すると、FPCは、
- 当初、水力発電所開発プロジェクトを連邦政府の管理下に置くためだけに1920年議員立法で設置された組織だったが、
- 1935年連邦電力法で電力の販売・輸送に関する規制権限を持つようになり、
- 1964年には、州外から入るパワーの州内販売について、
- 1967年には、州外まで供給ラインを有する州内公益事業者もFPCの管轄下に入った。
ところが、1960年代になると慢性的な電圧低下が発生。1970年代のオイルショックがこれに追い打ちをかけ、FPCの再編を余儀なくされた。
ということになりますが、1935年連邦電力法内で、FPCの権限範囲はどう規定されていたのでしょうか?
PNB.orgのFRONTLINE「public vs. private power: from fdr to today」に、以下のような記述を見つけました。
Congress passed the Federal Power Act of 1935, which gave the Federal Power Commission (FPC) regulatory power over interstate and wholesale transactions and transmission of electric power.
すなわち、FERC以前、電力に関してFPCに与えられていた権限範囲は、州をまたがる卸売電力取引と送電取引だったことになります。
次に、WeblioでのFERCの説明に出てくる「1978 年天然ガス政策法および公益事業規制政策法の二つの法律によりその権限が一層拡大された」という部分に関して、どのような権限が増えたのか見てみましょう。
公益事業規制政策法の説明
実は、以前、弊ブログ「米国のスマートグリッドに関わる組織のまとめ」で、「米国連邦エネルギー規制委員会」や「公益事業規制政策法」のような用語の解説をさせていただいているのですが、前者に関してはweblioの用語解説の方が今回の権限範囲を調査する上で適切な説明が載っていたので、weblioの説明を参照させていただきました。
ただ、公益事業規制政策法に関しては、weblioの用語解説が見つかりませんでしたので、弊ブログでの解説を以下に再掲させていただきます。
Public Utility Regulatory Policies Act(PURPA:公益事業規制政策法)
これは、組織の名称ではないのですが、ついでに整理しておきたいと思います。 これまでも、インターネットで米国の電力会社を調べているとPURPAという略語によく遭遇するので、何の略かくらいは確認していました。ただ、その正式名称から、各州にPUC(あるいはPSC等)を設けて、その州に合わせた規制料金を設定しPUの監視監督を行わせるための法律か?(=各州に公益事業委員会を作るための法律)くらいに解釈していました。 今回改めて調べてみると、PURPA法は、1970年代初頭のオイルショックに対処するため制定された米国エネルギー法(National Energy Act)の一部として米国議会が1978年に定めたもので、大きな柱は3つ:
• 一定の条件を満たせば、誰でも小規模な発電所を創業できる。(この法律により認定された新しい発電所は「適格発電所」と通称される)
• 既存の大手電力会社は、この新しい発電所から電気の買い取りを要求された場合、拒否できない。
• 各州に公益事業委員会を設け、買電価格など、法律の運用に必要な細目を決める。 ということです。 単に公益事業委員会の制定を促す法律ではなく、日本でも太陽光発電の買取制度として注目されている法律でもあった訳で、かつ、そのような法律が米国では30年以上前に制定されていたというのは、1つの発見でした。
今回再発見しました!
実に、PURPA法が「各州に公益事業委員会(規制当局)」を設けることを定め、売電価格など小売市場の規制権限をFERCではなく各州に委ねた張本人だったという訳です。
その意味で、weblioは、「公益事業規制政策法によりFERCの権限が一層拡大された」といっていますが、ことO745に関する限り、PURPA法がFERCの権限を縮小したということでしょうか。
電気事業連合会のホームページ「8.電力自由化の動向 - 卸電力市場の自由化 ISO/RTOの設立」によると、
1992年エネルギー政策法により公益事業持株会社法(PUHCA)の規制を適用免除された新たな発電事業者区分として適用除外卸発電事業者(EWG)という独立系発電事業者(IPP)が規定された。これにより卸目的で発電事業を営むEWGは、事業形態および地理的活動範囲において自由に発電施設を所有、運転し電力を販売することが可能となり、卸発電市場が全米大で実質的に自由化されることになった。
ということなので、PURPA法が登場したころは、まだ卸売市場の規制はFERC、小売市場の規制は州規制当局というような棲み分けは、明確にできていなかったけれども、その後の電力自由化の流れの中で、州の規制当局が担う規制権限範囲が現在の形に定まってきたのかもしれません。(すみません。大体の経緯がわかったので、詳しく調べませんでした)
以上、今回は、FERCの生い立ちと、FERCに付与された権限範囲について調べた結果をご紹介しました。
これで、「卸売電力取引に関する規制権限はFRECに、小売電力取に関する規制権限は各州の規制当局に帰属する」という現在の権限範囲が定まるまでの経緯が確認できた訳ですが、それを踏まえて「O745無効判決事件」を考えてみても、自分には、O745は卸売電力市場の運用者向けのルールであり、小売市場を規制する州の規制当局の権限を侵すものには思えません。
しかし、高等裁判所の裁判官を納得させるだけの根拠があったればこそ、O745無効判決が下されたのだと考えられるので、次回は、O745に対する反DR陣営の言い分に関して調査し、ご紹介したいと思います。
終わり
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- Demand Response, PJM, デマンドレスポンス